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アメリカからの手紙

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みなさんは昨年の9月11日、何をしていたか憶えていらっしゃいますでしょうか。
自分が何をしたかを憶えていなくても、何がおこった日か、憶えているのではないでしょうか。

その日を境に、世界情勢が方向を変え、またさまざまな人生が変転したものと思います。

現在ニューヨークに留学中のI君は歴史の大きな流れの中にいる自分を意識したようです。事件直後、彼が薬王寺にあてた電子メールにはこう書かれておりました。
「僕はこの事件が何を生み出すのか、それをしっかり見ておきます」
と。

遠くにあっては大事件でも、この日本に伝わるときには対岸の火事となってしまうことが、ままあります。
しかしI君にとっては対岸の火事どころか、今現在、実際に目の前で起こっていることであり、その事に対して観念でしか考えていなかった自分、そして日本人の甘さを痛感したのでしょう。

パレスチナのインティファダ(対イスラエル闘争)や、インドのヒンドゥー教徒とイスラム教徒の争い。信仰の心が政争の武器とされ、今も日々血が流されています。9.11テロの首謀者といわれているオサマ・ビン・ラディンも、一部では『イスラム教の敵』を攻撃した英雄としてあつかわれています。

しかしそれは彼らの信仰する神が望んでいることでなのでしょうか。

先日当山の僧侶のひとりが、キリスト教徒でゴスペル音楽(キリスト教徒が神をたたえる際に歌う歌)の研究家でもある塩谷達也氏と会談いたしました。
その中で、「キリストも仏陀もマホメットも、人の幸せを祈り、その方法を考えていたことには変わりはない。その神や仏たちが殺し合いを肯定するはずがない」との結論に達したそうです。

日本という豊かで恵まれた国。その中にあって私達は何をしてきたでしょうか。仏教・神道という他者を許容する信仰をもちながら、それを国際社会の舞台で活かすことができずにいます。
これはひとえに、今の日本人が信仰を基盤とし、相手に訴えかけることを行ってこなかったからです。

歴史をひも解いても、仏教徒がその教えを広めるために起こした戦争はありません。これは偶然ではなく、仏教の平和主義、平等主義、そして他者への寛容をあらわすものです。

今はまず、争いに巻き込まれ、命を奪われた人々のためにお祈りください。
そして気づくはずです。あなたには何かできるはずだということに。